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さわ こうじん 沢宏靭
滋賀県長浜市に生まれる。本名日露支。大正9年(1920)京都に出て、西山翠嶂に師事。大正13年上京するが昭和3年(1928)京都に帰り、昭和9年京都市立絵画専門学校を修了。昭和18年第6回文展で特選、野間美術奨励賞を受賞する。昭和22年向井久万、秋野不矩、広田多津らと日展を離れグループ展を持つ相談をするが、翌年上村松篁、山本丘人らと創造美術協会を結成し創立会員となる。昭和26年新制作派協会から独立し、創画会を結成する。沢の作風は、初期の故郷の風俗を描いた作品から、戦後の断涯や岩礁を構築的にとらえ暗赤色や金泥の色彩を多用したデフォルメされた作品、茶系統の色彩を主流にした重厚なモノクロームの作品へと変化している。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)
カテゴリー:作家
キネティック・アートとは?【 美術用語 】 動く芸術。なんらかの手段によって動きを示す作品の総称。コールダーのモビルのように風や手によって動きを示すものから、ガボ、マルセル・デュシャンに始まり第二次大戦後のティンゲリーなどのモーター仕掛けのものまでの一切が包含される。1961年にストックホルム近代美術館で開かれた「運動と芸術」展が最初の大きな国際展で、この展覧会にはヴィキング・エッゲリングの〈絶対映画〉からムナーリの作品までが集められ、20世紀のキネティック・アートの全貌が紹介された。物体の運動だけでなく、アガムやソトなどの動く影像や、光の変化などを示す作品も含まれる。1960年代に開花した顕著な動向の一つで、コンピューターによる作品もキネティッアートと関連している。 |
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