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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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じきはら ぎょくせい

直原玉青

1904年岡山県赤磐郡山方村に生まれる。2005年没する。本名正。明治39年(1906)淡路の洲本市に転居。昭和2年(1927)大阪美術学校に入り矢野橋村に師事。翌年大阪美術学校を卒業。昭和5年第11回帝展に初入選。昭和7年日本南画院院友となる。昭和17年大阪美術学校助教授となる。昭和21年大阪市立美術研究所の講師、昭和23年大阪市立工芸高等学校美術科日本画講師となる。昭和32年現代南画研究所を設立、昭和35年日本南画院創立に参加、山口誓子と合作俳画展を開催。昭和40年第5回日本南画院展で日本南画院賞受賞、日本南画院常務理事となる。昭和43年第8回日本南画院展で文部大臣賞を受賞。昭和50年「ホトトギス」同人となり、宇治黄檗宗本山より座元位を受ける。昭和53年大阪府芸術賞受賞。昭和59年現代南画協会を設立、理事長となる。昭和61年第1回日中水墨交流協会展で内閣総理大臣賞を受賞。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年、加筆有)


カテゴリー:作家
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矢野橋村とは?【 作家名 】

1890年愛媛県に生まれる。1909年(明治42)大阪の南画家永松春洋に入門。1914年(大正3)第8回文展に〈湖山清暁〉が入選、第10回文展まで3回連続して褒状を受ける。1917年第4回再興院展に出品、院友となるが、19年、直木三十五、福岡青嵐らと主潮社を設立。1921年、日本南画院の設立に参加し同人となり、27年(昭和2)から帝展に出品し翌年特選、37年の新文展への改組後、委員、審査員をつとめる。1937年墨人会を、39年に乾坤社を設立。1924年以降、大阪美術学校の運営に力をそそぐなど若手作家の育成に尽力した。戦後は日展の審査員、参事、評議員を歴任するとともに、1960年に松林桂月らと社団法人日本南画院を設立、64年に会長となる。南画の伝統的描法を学びながら、濃彩による表現を試みるなど幅の広い画風を見せる。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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