ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


自動車「モトブロック」



ジミーを待って



ジャコメッティ



ジャコメッティ



ジャズ



ジャゼ



ジャポニスム



ジャポニスム



ジャンプルヴェ



ジャン=オクターヴ・ド・ヴィラール侯爵



ジャンシアーヌ=キナ酒「ボナル」



ジャンシャオガン



ジャー







十字行



「住宅展示会」グラン・パレ



熟成の酒「マリー・ブリザール&ロジェ」



受胎告知



寿老人図



寿老人図


<前 (78/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


じきはら ぎょくせい

直原玉青

1904年岡山県赤磐郡山方村に生まれる。2005年没する。本名正。明治39年(1906)淡路の洲本市に転居。昭和2年(1927)大阪美術学校に入り矢野橋村に師事。翌年大阪美術学校を卒業。昭和5年第11回帝展に初入選。昭和7年日本南画院院友となる。昭和17年大阪美術学校助教授となる。昭和21年大阪市立美術研究所の講師、昭和23年大阪市立工芸高等学校美術科日本画講師となる。昭和32年現代南画研究所を設立、昭和35年日本南画院創立に参加、山口誓子と合作俳画展を開催。昭和40年第5回日本南画院展で日本南画院賞受賞、日本南画院常務理事となる。昭和43年第8回日本南画院展で文部大臣賞を受賞。昭和50年「ホトトギス」同人となり、宇治黄檗宗本山より座元位を受ける。昭和53年大阪府芸術賞受賞。昭和59年現代南画協会を設立、理事長となる。昭和61年第1回日中水墨交流協会展で内閣総理大臣賞を受賞。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年、加筆有)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

野口幽谷とは?【 作家名 】

江戸飯田橋に生まれる。名は続。巳之助と称した。はじめ宮大工の建築製図を学ぶが、椿椿山に花鳥画を学び、安政初年より画業に専念。明治5年(1872)ウィーン万国博覧会に出品したのをはじめ、同10年(1877)に第一回内国勧業博覧会で褒状を受賞、明治15年(1882)第一回内国絵画共進会では審査員をつとめた。以後、東洋絵画共進会、日本美術協会、内国勧業博覧会などに出品し、しばしば審査員をつとめ、また受賞を重ねた。明治22年(1899)滝和亭らと青年絵画共進会を開催。明治26年(1893)にはシカゴ万国博覧会に出品し、翌年帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

野口幽谷

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  野口幽谷

  松林桂月

  吉田登穀


<前   次>

徳島県立近代美術館2006