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でみせ ひさお 出店久夫
1945年福井県に生まれる。1966年京都市立日吉ケ丘高校美術コース洋画科卒業。その後、新宿美術研究所夜間部で麻生三郎、山口長男に師事。1974年渡欧、スペイン国立アカデミーに学ぶ(76年帰国)。1976年個展開催。1990年、滋賀県立近代美術館の「シガ・アニュアル’90 写真による現代版画」、渋谷区立松濤美術館の「現代の版画1990」などに出品。1987年ABCギャラリーでの「’87IBM絵画・イラストコンクール ABC&PI展」で大賞、88年第17回日本国際美術展で和歌山県立近代美術館賞を受賞、90年第13回エンバ賞美術コンクール展で大賞、92年第21回現代日本美術展で埼玉県立近代美術館賞、97年第26回現代日本美術展で徳島県立近代美術館賞などを受賞している。
カテゴリー:作家
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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