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おぐら ゆき

小倉遊亀

明治28年(1895)大津市丸屋町(現中央2丁目)に生まれる。旧姓溝上。大正2年(1913)3月、県立大津高等女学校を卒業、4月には奈良女子高等師範学校国語漢文部に入学し、撰修課目に図画を選んだ。奈良女高師で学んだ二人の先生がのちに画家をめざす方向を決定づけた。一人は図画教授の横山常五郎で、菱田春草と東京美術学校で同期であり、一期上の横山大観下村観山とともに親しかった。もう一人は日本史の教授であった、水木要太郎で、彼は古美術に造詣が深く、安田靫彦とも親交があった。大正9年(1920)に横浜の捜真女学校の講師となり、この年の6月、安田靫彦を単身で訪ね入門した。大正15年(1926)第13回院展に「胡瓜」が初入選し、昭和7年(1932)6月、女性としては初めて日本美術院同人に推挙される。その後昭和13年(1938)12月禅徒小倉鉄樹と結婚し、北鎌倉の鉄樹庵に住む。昭和22年(1947)の第32回院展に「磨針峠」を出品するが、敗戦後の混乱と日本画の危機が叫ばれた時期に発表された名作である。昭和51年(1976)に日本芸術院会員となり、昭和55年(1980)11月、文化勲章を受章。この年、滋賀県立近代美術館のために自作20年を寄贈する。昭和59年(1984)10月、滋賀県立近代美術館開館記念として「小倉遊亀回顧展」を開催する。平成2年(1990)4月、日本美術院理事に就任する。(「滋賀県立近代美術館所蔵作品による 日本画に見る画家のまなざし」図録 1998年)


カテゴリー:作家
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アーキペンコとは?【 作家名 】

1887年ロシアに生まれる。1964年没する(ニューヨーク)。キエフ、モスクワで学んだ後、1908年パリに渡る。古代エジプトや中央アジアの彫刻に興味を持つとともに、キュビスムの影響を受け、彫刻と絵画の融合を目指す。1921年にベルリンに移り、アートスクールを開く。1923年渡米、1928年アメリカ国籍となりニューヨークにアートスクールを開き、後進の指導を行う。1948年アクリルによる透明な立体に着手し、電光と組み合わせるなど、彫刻に新分野を拓いた。リプシッツムーアなどの多くの彫刻家がその影響を受けた。

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