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影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 浜辺の葉と影



影シリーズ 都わすれと影



影の自画像



過去も未来もない中心 I



過去も未来もない中心 II



かご


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 作家(1701)

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おぐら ゆき

小倉遊亀

明治28年(1895)大津市丸屋町(現中央2丁目)に生まれる。旧姓溝上。大正2年(1913)3月、県立大津高等女学校を卒業、4月には奈良女子高等師範学校国語漢文部に入学し、撰修課目に図画を選んだ。奈良女高師で学んだ二人の先生がのちに画家をめざす方向を決定づけた。一人は図画教授の横山常五郎で、菱田春草と東京美術学校で同期であり、一期上の横山大観下村観山とともに親しかった。もう一人は日本史の教授であった、水木要太郎で、彼は古美術に造詣が深く、安田靫彦とも親交があった。大正9年(1920)に横浜の捜真女学校の講師となり、この年の6月、安田靫彦を単身で訪ね入門した。大正15年(1926)第13回院展に「胡瓜」が初入選し、昭和7年(1932)6月、女性としては初めて日本美術院同人に推挙される。その後昭和13年(1938)12月禅徒小倉鉄樹と結婚し、北鎌倉の鉄樹庵に住む。昭和22年(1947)の第32回院展に「磨針峠」を出品するが、敗戦後の混乱と日本画の危機が叫ばれた時期に発表された名作である。昭和51年(1976)に日本芸術院会員となり、昭和55年(1980)11月、文化勲章を受章。この年、滋賀県立近代美術館のために自作20年を寄贈する。昭和59年(1984)10月、滋賀県立近代美術館開館記念として「小倉遊亀回顧展」を開催する。平成2年(1990)4月、日本美術院理事に就任する。(「滋賀県立近代美術館所蔵作品による 日本画に見る画家のまなざし」図録 1998年)


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銅版画とは?【 美術用語 】

版画技法。版材に銅板を用いる版画の総称。基本的に凹版画であり、彫られた凹部にインキをつめ、プレス機で紙に刷り上げる。製版の方法によって、直刻法(直接法)と酸腐蝕法(間接法)に大別できる。直刻法は、彫刻刀などによって銅版に刻画し凹部をつくるもので、用いる彫刻刀の種類と刻画の方法によって、エングレーヴィングドライポイントメゾチントなどの技法に区別できる。一方酸腐蝕法は、防蝕剤によって版面に腐蝕される部分とされない部分を作った上で、酸による腐刻を行い凹部をつくるもので、防蝕剤の使い方の様々で、エッチングアクアチントなどの技法に区別できる。これら様々な銅版画の技法は、同じ銅板を用いた凹版画でありながらもそれぞれ独特の表現効果をもっている。また同一版の上で複数の技法を併用し、一気に刷り上げることも可能である。

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