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『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋



初秋瀧猿図



書籍「パリの暦」



書窓 1巻1,2,4号、2巻2,6号、3巻1号、4巻2,5号、5巻1,4号



初冬風景


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のぞえ へいべい

野添平米


明治28年(1895)滋賀県栗太群下笠村(現在の草津市下笠村)に生まれる。本名次郎。大正2年(1913)京都に出て、四条派の画家であった菊地芳文に師事し、7年(1918)の芳文の死後、契月に師事する。大正8年(1919)の第1回帝展に「朴」が初入選する。翌年第2回帝展に「北山杉」、10年(1921)第3回帝展に「梅雨の頃」を出品し、昭和2年(1927)第8回帝展に「山峡飛騨國中山千里」を出品。以後、昭和9年の第15回展まで帝展に出品を続ける。昭和4年(1929)には中国の蘇州、杭州へ写生旅行に出かけ、7年(1932)第13回帝展に出品した「奥山の朝」が特選となる。同年より9年(1934)にかけては、朝鮮に取材旅行に出かける。昭和11年(1936)改組第1回帝展に「高原暮色」無鑑査出品し、翌年新文展に「漁村」を出品する。以後昭和16年(1941)第4回展までは、連続して新文展に出品する。昭和14年(1939)には中国に写生に出かけ、翌年大阪毎日新聞社主催の日本画大博覧会に「廣澤の雪」を招待出する。昭和18年(1943)第6回新文展に、「首夏の渓」を、翌年戦時特別展に「中後の村」を出品する。戦時下は、故郷の草津に疎開し、戦後は日展など団体展に出品することはせず、京展などに作品を発表した。また、昭和33年(1958)より師契月の遺志を継いで、他の門下生とともに京都御所小御所の襖絵制作にあたり、昭和35年(1960)には、京都紫野にある大徳寺塔頭瑞峯院の依頼により、襖絵「金剛山」の大作を完成させている。作品は風景画が多く、明るい澄んだ色彩感で、雄大に描くところに特色があり、また線描を主張にした淡彩系の作品には、秀れたものを残している。昭和53年(1978)滋賀県立琵琶湖文化館にて「野添平米回顧展」が開催されたが、55年(1980)京都市伏見区の自宅にて没する。(「滋賀県立近代美術館所蔵作品による 日本画に見る画家のまなざし」図録 1998年)


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徳島県立近代美術館2006