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ぐるぐるもくじ


『革命に奉仕するシュルレアリスム』誌 第5号



革命のためのシュルレアリスム 1-6号(2号欠)



家具つきホテル



家具デザインスケッチ 7点



かぐやひめ



掛井五郎



夏景山水図



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影


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守屋多々志

大正元年(1912)、岐阜県大垣市に生まれる。本名正。昭和5年(1930)上京。前田青邨に師事し、絵巻物の模写などを通じて古典を学ぶ。昭和11年(1936)東京美術学校を卒業した際の卒業制作「白雨」で川端玉章賞を受賞。卒業と同時に応召され、昭和16年(1941)海軍記念館の日本海戦史の壁画を担当して「蒙古襲来」を描き、同年第28回院展に「継信忠信」を出品しては、初入選する。昭和21年(1946)に復員し、翌年より院展に出品を続け、24年(1949)第3回院展で「ふるさとの家1・2・3・4」が奨励賞を受賞した。29年(1954)より総理府の留学生としてイタリアに2年間留学し、ポンペイの古代ローマの壁画を模写する機会を得た。33年(1958)の第43回院展では「アンジェリコの窓」が佳作(白寿賞)となる。35年(1960)鎌倉円覚寺の金堂の天井画「白龍」を描き、42年(1967)からは法隆寺金堂壁画再現のための事業に、48年(1973)には、高松塚古墳壁画の模写に従事し、古典に学んだ伝統的な技法を存分に駆使した。昭和49年(1974)日本美術院同人に推挙される。作品としては、青邨の武者絵の伝統をひく題材のものをはじめ、歴史風俗画多い。「月の宴」や「衣香」のように、華麗な衣装の色彩や文様を執拗に描き込むもの、「初陣」「駒競べ」など群像としての武者を塊量として把握した作品群や、「キオストロの少年使節」、「慶長使節支倉常長」など、イタリアに留学した経験を活かして、ヨーロッパの建築に日本の武士を配し、その異文化交流を画題の斬新さに止揚したものなどが注目され、新しい歴史画に、絶えず挑み続けている。(「滋賀県立近代美術館所蔵作品による 日本画に見る画家のまなざし」図録 1998年)2001年文化勲章を受章する。


カテゴリー:作家
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文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

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