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ぐるぐるもくじ


セザンヌ、救済院の礼拝堂



せせらぎ−版画集『自然の諸相』第12図



世相三題



セック



石鹸の道d)行為の断片”標的”



石鹸「モンサヴォン」(ジャン・カルリュと共作)



石膏のトルソと花



雪舟坐像



雪中孤鹿、雨中曳牛



雪中芭蕉図



雪後



背中を見せた女



せのひくいおれんじはまんなかあたり



蝉丸



セリュジェ



『セルフポートレート』



セルフポートレート



千秋万歳図



センストレム



「宣誓」に着手した時の3つの手の習作


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もりや ただし

守屋多々志

大正元年(1912)、岐阜県大垣市に生まれる。本名正。昭和5年(1930)上京。前田青邨に師事し、絵巻物の模写などを通じて古典を学ぶ。昭和11年(1936)東京美術学校を卒業した際の卒業制作「白雨」で川端玉章賞を受賞。卒業と同時に応召され、昭和16年(1941)海軍記念館の日本海戦史の壁画を担当して「蒙古襲来」を描き、同年第28回院展に「継信忠信」を出品しては、初入選する。昭和21年(1946)に復員し、翌年より院展に出品を続け、24年(1949)第3回院展で「ふるさとの家1・2・3・4」が奨励賞を受賞した。29年(1954)より総理府の留学生としてイタリアに2年間留学し、ポンペイの古代ローマの壁画を模写する機会を得た。33年(1958)の第43回院展では「アンジェリコの窓」が佳作(白寿賞)となる。35年(1960)鎌倉円覚寺の金堂の天井画「白龍」を描き、42年(1967)からは法隆寺金堂壁画再現のための事業に、48年(1973)には、高松塚古墳壁画の模写に従事し、古典に学んだ伝統的な技法を存分に駆使した。昭和49年(1974)日本美術院同人に推挙される。作品としては、青邨の武者絵の伝統をひく題材のものをはじめ、歴史風俗画多い。「月の宴」や「衣香」のように、華麗な衣装の色彩や文様を執拗に描き込むもの、「初陣」「駒競べ」など群像としての武者を塊量として把握した作品群や、「キオストロの少年使節」、「慶長使節支倉常長」など、イタリアに留学した経験を活かして、ヨーロッパの建築に日本の武士を配し、その異文化交流を画題の斬新さに止揚したものなどが注目され、新しい歴史画に、絶えず挑み続けている。(「滋賀県立近代美術館所蔵作品による 日本画に見る画家のまなざし」図録 1998年)2001年文化勲章を受章する。


カテゴリー:作家
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バロックとは?【 美術用語 】

広義では16世紀末から18世紀初めまでの美術、文学、音楽等の様式や、時代精神を指す。美術においてはルネサンスの後にくるマニエリスムと、18世紀のロココの間にあたる。狭義ではベルニーニをその代表とする1630年頃のイタリアの建築、彫刻、絵画のことを指す。ルネサンスの成果である新しい科学技術によって、交通手段や情報伝達が発達したこの時代、人々の世界観は大きくゆらぎ始めた。古代ギリシア,ローマを模範とする考えはそのバランスを失っていく。しかし、なおかつ新たな統一を目指そうという傾向が生まれた。装飾過多であったり、形をゆがめたり、特定の瞬間に焦点をあてたり、線よりも面や光を重視したりする手法がとられるようになる。それらはおおむね、迫真性をもった劇的な表現を見せているが、この時代の精神の多岐にわたる現われ方は、けっしてひとまとめにできるものではない。この時代の作家たちとして、ベルニーニのほかに、カラヴァジオ、ルーベンス、レンブラント、フランス・ハルスエル・グレコ、ベラスケスらがいる。

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