![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
したら ともあき 設楽知昭
1955年北海道に生まれる。1980年愛知県立芸術大学大学院終了。1984年ギャラリー大西(名古屋)にて個展。1993年白土舎(名古屋)で個展「目のギブス」を開催、86年制作の石膏刷りを出品。1994年名古屋市美術館(愛知)の「ポジション1994」、上野の森美術館(東京)の「VOCA展」に出品、また、愛知県立農業総合試験場の中央棟ロビーにフレスコ壁画〈共生・眼の部屋〉を制作する。1995年稲沢市萩須記念美術館(愛知)の「INAZAWA現在・未来展3 イメージの森」展に出品。また、同年、版画集「フレネルレンズ視−フレネルレンズに基づく四つの寓意的な版−」を発行する。1996年北海道立近代美術館他の「北海道・今日の美術 語る身体・10人のアプローチ」に出品。同年石田財団1995年度芸術奨励賞を受賞、名古屋電気文化会館(愛知)で受賞記念展が開催される。現在、愛知県在住。
カテゴリー:作家
ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||