ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


板を支える両手、3パターンの下向きの手、2つのその他の手の習作



「宣誓」の為の2つの手の習作、前腕を持ち上げている人物の右側部分、4つの足の習作



センターピース



センターピース、あるいは燭台



扇面画



扇面画



扇面画(男)



扇面画(日本の面)



扇面美人図



ゼゼ



「ゼツェッシオン」



ゼフィラン



ゼリー・クールベの肖像



ゼロックス・ブック



総合主議



早春(奥日光・龍頭の滝付近)



双心詩集



〈早朝(エドワード・ボンド)2〉



早梅



SOUL


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 作家(1701)

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もり たかゆき

森堯之

1915年徳島県に生まれる。1944年没する(ビルマ)。旧制徳島中学(現・城南高校)を経て、1934年帝国美術学校西洋画科に入学。在学中の1936年同級の浅原清隆らとグループ「表現」を結成し、作品を発表。また、1937年第7回独立美術協会展に〈たそがれの街〉で初入選して、シュルレアリスムの影響をうけた作品画壇の脚光をあびた。独立展には第8回、第9回展まで連続入選。1938年の第8回表現展には、永井東三郎と共同で実験作品〈フィンガー・ピクチャー〉を出品。1939年「表現」を解散し、主だったメンバーと共に美術文化協会の結成に参加した。写真にも造詣が深く、帝国美術学校卒業後は、名取洋之助の日本工房にカメラマンとして入社し、対外宣伝雑誌『NIPPON』朝鮮特集号の取材で朝鮮に派遣された。当時の前衛美術を代表する一人と目されたが、1941年に応召、44年ビルマで戦病死した。


カテゴリー:作家
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バルビゾン派とは?【 美術用語 】

パリの東南、フォンテーヌブローの森の北西にある小村バルビゾンを、1830年頃からテオドール・ルソーやコローら若い画家たちが訪れ、風景を描いていた。そして、1835年のルソーに続いて、ミレーコロー、トロワイヨン、ドービニー、デュプレらが、1840年代にかけて相次いで移住し、風景画を描くグループを形成した。この集団をバルビゾン派というが、それぞれ独自の画風をもっており、ミレーコローなど、同じバルビゾン派としてひとまとめにするのが難しい作家もいる。しかし、おおむねコンスタブルやボニントンらのイギリスの風景画や、17世紀オランダの風景画からの影響が強い。当時、一般的となっていたイタリア旅行もせず、主にバルビゾンで制作した彼らにとって、自然は、ほとんど崇拝の対象に近いものであった。また、風景それ自体に興味を示し、古典的な規範に反抗するその態度は、当時としてはかなり革新的なものであった。すぐ後に続く写実主義や、印象派に与えた影響も少なくはない。

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  男の肖像

  シャルル=フランソワ・ドービニー

  バルビゾン派

  ジャン=フランソワ・ミレー


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徳島県立近代美術館2006