![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
もり たかゆき 森堯之
1915年徳島県に生まれる。1944年没する(ビルマ)。旧制徳島中学(現・城南高校)を経て、1934年帝国美術学校西洋画科に入学。在学中の1936年同級の浅原清隆らとグループ「表現」を結成し、作品を発表。また、1937年第7回独立美術協会展に〈たそがれの街〉で初入選して、シュルレアリスムの影響をうけた作品画壇の脚光をあびた。独立展には第8回、第9回展まで連続入選。1938年の第8回表現展には、永井東三郎と共同で実験作品〈フィンガー・ピクチャー〉を出品。1939年「表現」を解散し、主だったメンバーと共に美術文化協会の結成に参加した。写真にも造詣が深く、帝国美術学校卒業後は、名取洋之助の日本工房にカメラマンとして入社し、対外宣伝雑誌『NIPPON』朝鮮特集号の取材で朝鮮に派遣された。当時の前衛美術を代表する一人と目されたが、1941年に応召、44年ビルマで戦病死した。
カテゴリー:作家
フォーヴィズムとは?【 美術用語 】 野獣派。20世紀初頭のフランスの絵画運動で、絵画における純粋な色彩の高揚を目指した。理論的な運動というよりは交友関係の中から自然発生的に生まれ、代表的な画家としてはマティス、ルオー、ドラン、ヴラマンク、デュフィ、ヴァン・ドンゲンなどがあげられる。1905年、この画家たちがサロン・ドートンヌの一室を強い原色と奔放な筆触の作品で飾ったのを批評家ルイ・ヴォークセルが『ジル・ブラス』紙上に「野獣(フォーヴ)の檻」と揶揄したのが名称の起りとされる。この画家たちはアカデミーの公式芸術と当時まだ行なわれていた印象主義に反発し、主観的な感覚を表現するために自然の秩序をこえて自由に色彩を用い、色彩のオーケストレーション(交響)によって色彩を統一しようとした。フォーヴィズムはファン・ゴッホの流れをくむ表現主義的傾向と、ゴーガンにつながる造型的、装飾的意図を内在する。1908年から09年頃自然に解消した。 |
||