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もり たかゆき 森堯之
1915年徳島県に生まれる。1944年没する(ビルマ)。旧制徳島中学(現・城南高校)を経て、1934年帝国美術学校西洋画科に入学。在学中の1936年同級の浅原清隆らとグループ「表現」を結成し、作品を発表。また、1937年第7回独立美術協会展に〈たそがれの街〉で初入選して、シュルレアリスムの影響をうけた作品画壇の脚光をあびた。独立展には第8回、第9回展まで連続入選。1938年の第8回表現展には、永井東三郎と共同で実験作品〈フィンガー・ピクチャー〉を出品。1939年「表現」を解散し、主だったメンバーと共に美術文化協会の結成に参加した。写真にも造詣が深く、帝国美術学校卒業後は、名取洋之助の日本工房にカメラマンとして入社し、対外宣伝雑誌『NIPPON』朝鮮特集号の取材で朝鮮に派遣された。当時の前衛美術を代表する一人と目されたが、1941年に応召、44年ビルマで戦病死した。
カテゴリー:作家
リチャード・エステスとは?【 作家名 】 1932年アメリカに生まれる。1952−56年、シカゴ美術研究所で学ぶ。ニューヨーク市およびメイン州在住。エステスはフォトリアリズムの画家として世界的に知られているが、その都市風景は実際には複数の写真の組合せに基づいており、しかもこれに大きく変更が加えられることも多い。マンハッタン風景の数々はよく知られているが、ヨーロッパの都市、たとえばパリ、ヴェニス、バルセロナ、ローマ、ロンドン、フィレンツェなどを描いた大作もある。日本では東京や広島も取り上げている。(「アメリカン・リアリズム」図録 1992年) |
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