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さいうちいっしゅう 斎内一秀
東京で生まれる。大正14年(1939)に山元春挙(1871−1933)に師事「早苗会」に入る。春挙没後は「早苗会」引き継いだ川村曼舟(1880−1942)について学ぶ。のちに山口華楊(1889−1984)の「晨鳥社」に所属する。昭和16年(1941)に第4回新文展に山岳を描いた「翠巒」が入選し、つづいて第5回の新文展には滋賀の湖西地方の柵田を描いた「六月の頃」で連続入選している。戦後は昭和21年(1946)の第1回日展は「冬日和」が、翌年の第3回日展には「早苗の頃」が撰に入っている。明るい色彩による平明な風景画に特色がある。
カテゴリー:作家
デュフィとは?【 作家名 】 1877年フランスに生まれる。1953年没する。故郷ル・アーヴルの美術学校を経て、兵役をはさみ、パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。はじめは印象主義の影響を受けた作風で、サロンにも出品するが、1905年のアンデパンダン展で見たマティスの作品に影響されて、明るい色彩と軽快な筆使いによる作風へと転じる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた時期もあるが、独特のリズミカルな画面を保ち、フォーヴィスムの一員と見なされる。1937年のパリ万博では、電気館のための壁画を制作、52年のベネチア・ヴィエンナーレでは国際絵画大賞を受けた。 |
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