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たかまつ じろう 高松次郎
1936年東京都に生まれる。1998年没する。本名は新八郎。1958年東京芸術大学油画科を卒業する。1961年から63年にかけて読売アンデパンダン展に出品し、62年中西夏之らとハプニングを行なう。1963年赤瀬川原平、中西夏之と3人で芸術団体ハイレッド・センターを結成し、ネオ・ダダ・オルガナイザーズとともに、60年代の反芸術的傾向の中核となる。ハプニング、影の絵画、紐や布による作品、木や石の一部を加工した〈単体〉シリーズなど、既成の表現形式にとらわれない独特の概念芸術の領域を開拓し、1960年代以降の美術を代表する作家の一人と目される。1965年シェル美術賞展で1等賞、長岡現代美術館賞展で長岡現代美術館賞、67年パリ青年ビエンナーレでテアドロン財団賞、68年芸術選奨文部大臣新人賞、ヴェネツィア・ビエンナーレでカルロ・カルダッツオ賞、72年東京国際版画ビエンナーレで国際大賞などを受賞、80年国立国際美術館で「現代の作家2、高松次郎・元永定正」展が開かれる。
カテゴリー:作家
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ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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