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たかまつ じろう 高松次郎
1936年東京都に生まれる。1998年没する。本名は新八郎。1958年東京芸術大学油画科を卒業する。1961年から63年にかけて読売アンデパンダン展に出品し、62年中西夏之らとハプニングを行なう。1963年赤瀬川原平、中西夏之と3人で芸術団体ハイレッド・センターを結成し、ネオ・ダダ・オルガナイザーズとともに、60年代の反芸術的傾向の中核となる。ハプニング、影の絵画、紐や布による作品、木や石の一部を加工した〈単体〉シリーズなど、既成の表現形式にとらわれない独特の概念芸術の領域を開拓し、1960年代以降の美術を代表する作家の一人と目される。1965年シェル美術賞展で1等賞、長岡現代美術館賞展で長岡現代美術館賞、67年パリ青年ビエンナーレでテアドロン財団賞、68年芸術選奨文部大臣新人賞、ヴェネツィア・ビエンナーレでカルロ・カルダッツオ賞、72年東京国際版画ビエンナーレで国際大賞などを受賞、80年国立国際美術館で「現代の作家2、高松次郎・元永定正」展が開かれる。
カテゴリー:作家
大下藤次郎とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1891年中丸精十郎の画塾に入門し、眞野紀太郎、三宅克己らと知り合う。1893年明治美術会の会員となる。1898年オーストラリアに旅行。1901年太平洋画会の創設に参加。翌年渡米してボストンで水彩画展を開催し、1905年、水彩画の研究団体春鳥会をおこし、機関誌として『みづゑ』を創刊。翌年、丸山晩霞、眞野紀太郎らとともに水彩画講習所を開設。1907年、講習所を移転新築して新たに日本水彩画会研究所を設立。太平洋画会、文展に水彩画を出品し、水彩画の普及につとめる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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