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さとみむ ねつぐ 里見宗次
広告クリエーター、画家、素描家、石版画家、ポスター作家。1904年大阪市に生まれる。1920年渡仏し。パリ国立美術学校に学ぶ。パリ商工祭のポスター・コンクールにたびたび入選する。〈パリ6日間自転車競争〉のポスターで日本でも一躍有名になるが、ムネ・サトミの名によって、すでにパリでもよく知られていた。日本とフランスのデザイン交流にも努め、国際商業美術交歓展の開催(1934年)に尽力する。1940年に戦争のために帰国したが、翌年個展を開いた。戦後再び渡仏する。1996年大阪で没する。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 |
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