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でしま しゅんこう 出島春光
生年不明。おそらく石川県出身。1915(大正4)年東京美術学校予備科(日本画科)に入学。プラハでの第6回世界美術教育会議に出席するため美校を中退し、渡欧。プラハで個展を開催後パリへ渡った。ブリュッセル展ではベルギー国王夫妻の前で矢澤弦月らと席画を描いている。同年にパリの画廊で、翌年にはブリュッセルのブレックポット画廊で個展を開催。ヨーロッパ諸都市の景観図を墨で描くなど、パリの日本画家として好評を博した。1930年頃から作家金子光晴と親交を結んでいる。38、39年の巴里日本美術家展に出品。パリで客死したと言われている。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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