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はぎのや いわお 萩谷巌
1891(明治24)年、福岡県に生まれる。白馬会葵橋研究所夜学部を経て、1922年に渡仏し、シャルル・ゲランに師事する。小山敬三、キスリング、ドランらと交友した。24年サロン・ドトンヌに入選し、26年に会員、33年に審査員となる。26年には東京の日本橋三越で滞欧作50点による個展を開催している。仏蘭西日本美術家協会展の出品当時は、西洋的なものを吸収し、印象派、ポスト印象派、ユトリロやヴァロッキエの影響を受けていると評されている。ブリュッセル展では、ベルギー国王夫妻の前で席画を描いた。34年帰国後も度々個展を開く。79年東京で死去。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
コブラとは?【 美術用語 】 1948年にアムステルダムで結成された芸術家グループ。カレル・アペル,アスガーヨルン,コルネイユらが実験美術家と称して集まったものである。コブラの名称は、結集した作家の生国が、デンマーク、ベルギー、オランダの三国にわたっていたことから、それぞれの首都のコペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をとってコブラと称するようになった。激しい筆触、鮮やかな色彩による表現主義的な作風が共通し、また、精神障害者や子供による作品に表現の可能性を見い出し、アンフォルメルの運動とも深くかかわりながら、ヨーロッパでの第二次大戦後の新しい絵画運動の代表のひとつとなった。しかし、グループとしての活動は短命で、3回のグループ展を開催し、3年後の1951年に解散している。 |
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