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はぎのや いわお 萩谷巌
1891(明治24)年、福岡県に生まれる。白馬会葵橋研究所夜学部を経て、1922年に渡仏し、シャルル・ゲランに師事する。小山敬三、キスリング、ドランらと交友した。24年サロン・ドトンヌに入選し、26年に会員、33年に審査員となる。26年には東京の日本橋三越で滞欧作50点による個展を開催している。仏蘭西日本美術家協会展の出品当時は、西洋的なものを吸収し、印象派、ポスト印象派、ユトリロやヴァロッキエの影響を受けていると評されている。ブリュッセル展では、ベルギー国王夫妻の前で席画を描いた。34年帰国後も度々個展を開く。79年東京で死去。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
五姓田義松とは?【 作家名 】 1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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