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いたくら かなえ 板倉鼎
1901(明治34)年、埼玉県に生まれる。24年東京美術学校西洋画科を卒業。在学中から帝展などに入選。25年に須美子と結婚し、翌26年須美子を伴ってアメリカを経てフランスに渡る。パリでは27年からアカデミー・ランソンでロジェ・ビシェールに師事し、サロン・ドトンヌやサロン・ナショナル、サロン・デ・ザンデパンダンに入選する。日本人作家の展覧会には、27年在巴里日本人美術家展など出品。またフランスから日本の帝展に作品を送り、28,29年と入選している。29年9月パリの自宅で死去。30年銀座三共ギャラリーで遺作展が開かれ、滞欧作64点を展示。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ルネサンスとは?【 美術用語 】 15〜16世紀のヨーロッパの美術史上の様式と時期区分。とくにイタリア美術史上でいう。「ルネサンス」という言葉は、もともと、ヴァザーリが著書『美術家列伝』(1550年初版)の中で初めて用いた美術の“復活”=イタリア語でリナシータに由来し、それが1840年頃にルネサンスとフランス語に訳され用いられている。ヴァザーリは、およそ13世紀後半以降のイタリアの美術家の中にローマ帝国とともに没落していた美術の復活を認め、時代区分としてルネサンスとしたが、これは同時に古代との間に中世の概念を設定したものであった。今日通説の画期としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋起工の1420年より1500年までを初期、1500年〜1520−30年を盛期としている。初期にはフィレンツェ、盛期にはローマが中心となっている。自然と古代とを柱とする人文主義的造形活動を特色とし、美術理論が追求され、また美術作品の世俗化も行われ、メディチ家などの地方君主による美術の流派が形成された時代である。 |
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