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ないとう しゅういん 内藤秀因
1890(明治23)年、山形県に生まれる。山形師範学校を卒業し、小学校の教員となるが、1916年に東京美術学校図画師範科に入学。中退後、教職を続けながら石井柏亭らに絵を学ぶ。28年渡仏。小山敬三の紹介でアカデミー・スカンジナヴィーに通う。28年にはサロン・ドトンヌに入選。内藤はパリ在住の教員出身の作家を結び付ける位置にあった。また大使館との関係も深く、日本人画家の中では重きをなしていた。29年に帰国。日本水彩画会の会員となり、二科展、一水会展に出品。戦後は日展に出品を続け、示現会の委員、日本水彩画会の理事長を務めた。87年東京で死去。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
シスレーとは?【 作家名 】 1839年フランスに生まれる。1899年没する。イギリス商人の子としてパリに生まれる。美術教師シャルル・グレーズのアトリエで絵を学ぶ。同じアトリエに学んでいたルノワール、モネらと知り合う。バルビゾン周辺やセーヌ川などで制作し、また、後に印象主義をになう画家たちの集まったカフェ・ゲルボアに出入りする。1874年第一回印象派展に出品し、以後も風景を得意とする印象主義の画家の一人として活躍する。不遇な時期が長く、最晩年にようやく評価されはじめたが、念願のフランス帰化を果たせないまま、貧困のうちに没した。 |
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