ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


山麓で羊といる少女



サン=ロック教会



サーレ



サー・ウィリアム・マクスウェル将軍の肖像



The Signified or If No.1



The Signified or If No.2



The Signified or If No.3



The Signified or If No.4



The Signified or If No.5



The Signified or If No.6



The Signified or If No.7



ザヴジェル



ザガッタ



雑誌「青騎士」



雑誌「自由」(ラ・リベルテ)



雑誌「微笑み」(ル・スリール)



雑誌「ル・ポンポン」



ザツキン



『ザ・ライフ・オブ・マン』



ザルテン


<前 (66/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


ないとう しゅういん

内藤秀因

1890(明治23)年、山形県に生まれる。山形師範学校を卒業し、小学校の教員となるが、1916年に東京美術学校図画師範科に入学。中退後、教職を続けながら石井柏亭らに絵を学ぶ。28年渡仏。小山敬三の紹介でアカデミー・スカンジナヴィーに通う。28年にはサロン・ドトンヌに入選。内藤はパリ在住の教員出身の作家を結び付ける位置にあった。また大使館との関係も深く、日本人画家の中では重きをなしていた。29年に帰国。日本水彩画会の会員となり、二科展、一水会展に出品。戦後は日展に出品を続け、示現会の委員、日本水彩画会の理事長を務めた。87年東京で死去。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ロラーとは?【 作家名 】

ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ロラー

キーワードを含む記事
22件見つかりました。

  フランツ・ヴァツィーク

  「ヴァーグナー・シューレ」1901

  エドゥアルト・ヨーゼフ・ヴィンマー=ヴィスグリル

  マルセル・ヴェルテス

  「オーストリアのポスター芸術」

  ルドルフ・カルヴァッハ

  アントン・クリンク

  カール・クレネク

  フリッツ(フリートリヒ)・ツェイマー

  ノラ・エキスナー・フォン・ツムブッシュ

  リヒャルト・テシュナー

  「ディ・フレッヒェ 第1巻」

  レオポルト・ブラウエンシュタイナー

  エーリッヒ・マリナ

  モーリッツ・ユンク

  ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユングニッケル

  「ライバッハ(リュブリャナ)のために」

  パウル・レス

  フリッツィ(フリーデリケ)・レーヴ(ラザール)

  アルフレート・ロラー


<前   次>

徳島県立近代美術館2006