1907(明治40)年、東京市に生まれる。女子学習院高等科に学び、26年薩摩治郎八と結婚。間もなく渡仏し、ファッション
モデルとして新聞や雑誌に登場するなど、パリの社交界に華やかな話題を振りまいた。絵の制作はパリで始め、27年に
藤田嗣治のアトリエで制作をし、ピエール・ラプラードの指導を受けた。28年にはサロン・ドトンヌに入選。日本人作家の展覧会には、在巴里日本人美術家展や日本美術大展覧会などに出品したことが確認できる。31年病に倒れ、帰国後も療養生活を続けたが、49年死去。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)