![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
すずき りゅういち 鈴木龍一
1904(明治37)年、横浜に生まれる。和田三造に師事するが、17歳の時、父親の転勤に伴ってブラジルに渡る。リオデジャネイロ美術学校で絵を学んだのち22年に渡仏。同年パリで個展を開き画壇にデビュー。板東敏雄,海老原喜之助らと共に藤田嗣治のもとに集まり、藤田の白いキャンヴァスの秘密を盗もうと必死になっていたという。23年以降サロン・ドトンヌやサロン・デ・ザンデパンダンなどに出品。日本人展にも25年の在巴里日本人美術家展以来、数多く出品。19世紀風の衣裳を着た優雅な女性像を描いて人気を博した。1980年代までパリで生活していた。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||