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すずき りゅういち 鈴木龍一
1904(明治37)年、横浜に生まれる。和田三造に師事するが、17歳の時、父親の転勤に伴ってブラジルに渡る。リオデジャネイロ美術学校で絵を学んだのち22年に渡仏。同年パリで個展を開き画壇にデビュー。板東敏雄,海老原喜之助らと共に藤田嗣治のもとに集まり、藤田の白いキャンヴァスの秘密を盗もうと必死になっていたという。23年以降サロン・ドトンヌやサロン・デ・ザンデパンダンなどに出品。日本人展にも25年の在巴里日本人美術家展以来、数多く出品。19世紀風の衣裳を着た優雅な女性像を描いて人気を博した。1980年代までパリで生活していた。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ドクメンタとは?【 美術用語 】 1955年以来、西ドイツのカッセル市で、原則として4年ごとに催されてきた進歩的傾向の国際美術展の名前。第1回展は、カッセル・アカデミーのボーデ教授の提唱で、第二次大戦終了までナチスによって進歩的・前衛的芸術が「退廃」の烙印を押されて国際舞台から著しく立ち遅れてしまっていたドイツの芸術に、再び新しい息吹きを取り戻す目的で組織された。以降、ドイツの国民に世界の現代美術の動向を紹介するのを根本とし、多くの国際美術展のような授賞制度を持たずに、毎回テーマを決め、それに基いて委員会が美術家の人選を行うという方法を採っている。第2回展にはアメリカ部門が設けられ、ニューヨーク派の成果が紹介され、第4回展では、出品作家の3分の1がアメリカ人でその作品の多くが巨大なサイズのものという、アメリカの色面抽象絵画、ポップ・アート、ミニマル・アートが支配的なもので、ドクメンタの歴史にひとつの頂点を画したものであった。画商界の動向への追随など批判も多いが、現行の国際美術展では最も規模の大きいものである。 |
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