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とだ かいてき 戸田海笛
1888(明治21)年、鳥取県に生まれる。1909年に上京し、米原雲海の内弟子となる。15年第9回文展に、海笛の雅号で木彫作品《サロメ》が初入選。以降文展,帝展に入選を重ねる。日本画家尾竹竹坡の画塾にも出入りした。23年渡仏。翌年からサロン・ドトンヌ、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品。特に魚を描いた日本画が評判となり「ポアッソンのトダ」と通称された。当時のパリで美術家として自活できた数少ない日本人作家のひとりであった。31年パリで死去。葬儀では藤田嗣治が弔辞を述べた。32年のサロン・デ・ザンデパンダンで戸田の特別展示が行なわれた。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ウォーカーとは?【 作家名 】 1911年ノースキャロライナ州生まれ。生涯のほとんどを農家の季節労働者として、転々と移動し働いた。彼女が絵を描き始めたのは1972年。自分を暴行した男の殺人罪で、服役中の時だった。鉛筆やフェルトペンを使い、何百枚もの絵を描いた。丁寧に描かれた人物は、いずれも横向きの顔で、身体は正面を向いている。1974年の釈放直後から消息不明になっていたが、1990年にニューヨークで逝去。「私が描くのは、悪い女達から自分を守るためなのよ。」(「アート・イン・パラダイス−アメリカのユニークな作家たち」図録 2001年) |
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