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とだ かいてき 戸田海笛
1888(明治21)年、鳥取県に生まれる。1909年に上京し、米原雲海の内弟子となる。15年第9回文展に、海笛の雅号で木彫作品《サロメ》が初入選。以降文展,帝展に入選を重ねる。日本画家尾竹竹坡の画塾にも出入りした。23年渡仏。翌年からサロン・ドトンヌ、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品。特に魚を描いた日本画が評判となり「ポアッソンのトダ」と通称された。当時のパリで美術家として自活できた数少ない日本人作家のひとりであった。31年パリで死去。葬儀では藤田嗣治が弔辞を述べた。32年のサロン・デ・ザンデパンダンで戸田の特別展示が行なわれた。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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