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うえの はるか 上野春香
1896(明治29)年、北海道に生まれる。鹿児島へ転居し、師範学校卒業後教職に就くが、1917年頃風景画家を志して上京する。木村荘八に師事。この頃栗原信と知り合う。太平洋画会、光風会、中央美術会などに出品。21年二科展に初入選する。28年渡仏。松尾邦之助の紹介で藤田嗣治に会う。グランド・ショーミエール研究所に学ぶ。パリや南仏カーニュで制作し、30年帰国。31年春陽会展に滞欧作が特別陳列される。36年から3年間アジアを旅行。再三フランス、イタリアに遊学。晩年には度々ヒマラヤの写生に出掛けた。77年紺綬褒章を受章する。78年東京で死去。(「薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち」図録 1998年)
カテゴリー:作家
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藤田嗣治とは?【 作家名 】 1886年東京都に生まれる。1968年没する。(スイス、チューリヒ)。1910年東京美術学校西洋画科を卒業する。1913年フランスに渡り、ピカソやモディリアーニらと交友する。乳白色のなめらかな絵膚に線描する独自の画風を創り出し、1919年サロン・ドトンヌの会員、2年後に審査員に推挙されるなど、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。1929年一時帰国したあと、1930年から33年にかけてパリを足場に中南米各地で制作、39年から40年にかけて再度フランスに渡る。その間1934年二科会会員、41年帝国芸術院会員となり、43年朝日文化賞を受賞する。戦後は1949年アメリカを経てフランスに渡り、55年フランスに帰化、57年レジオン・ドヌール勲章を受賞、59年ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年カトリックの洗礼をうけてレオナルド・フジタと改名、晩年はフランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。(「ピカソと日本」図録 1990年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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