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つじ しんどう 辻晉堂
1910年鳥取県に生まれる。1981年没する。本名汎吉。1931年上京し、32年から33年にかけて独立美術研究所に学ぶ。33年日本美術院展初入選の後、同展に彫刻を出品。1935年美術院研究所に入り、同年の美術院展で受賞、翌年院友に推挙される。1938年得度し、翌年晉堂の名で出品した作品が日本美術院賞を受賞。1941年42年連続して院賞を受賞し同人となる。1949年京都に移り、京都市立美術専門学校、同美術大学、同芸術大学教授を歴任し、堀内正和とともに多くの後進を指導した。1955年から人体の大担な変形を試み、翌年〈寒山拾得〉などの陶彫を発表する。この頃から次第に陶彫への関心を強める一方、抽象的な表現に傾斜し日本の抽象彫刻に独自の地位を占めた。1957年サンパウロ・ビエンナーレ展、1961年ピッツバーグのカーネギー国際美術展など各国の展覧会に出品する他、71年京都国立近代美術館の「近代日本の彫刻」展など我が国の近現代彫刻史をたどる展覧会に出品している。
カテゴリー:作家
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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