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ふじまつ ひろし 藤松博
1922年長野県に生まれる。1996年没する。1945年東京高等師範学校卒業。1949年から58年まで読売アンデパンダン展に連続出品。1953年タケミヤ画廊で初の個展開催。1956年「世界・今日の美術展」、57年「前衛美術の15人展」(国立近代美術館)、「アジア青年美術展」などに出品。1959〜61年ニューヨーク近代美術館研究員としてニューヨークに滞在。帰国後「ヒトガタ」「壜」「旅人」などのシリーズを発表した。
カテゴリー:作家
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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