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とみなが かつしげ 富永勝重
1884年徳島県に生まれる。1958年没する。徳島師範附属小学校を卒業し、郷里で森魚淵に師事して日本画を学ぶが、後に上京して1908年に東京美術学校西洋画科を卒業する。1915年第9回文部省美術展に入選。上京間もない頃は、藤島武二のもとに内弟子として住み込み、藤島の薫陶を受けた。1914年川淵画学校に洋画部が開設されると洋画部幹事(後に教授)に就任し、学生の指導にあたった。1945年に同校が廃校となるまで、多くの画家を育て、日本の洋画界に大きな功績を残した。
カテゴリー:作家
アカデミーとは?【 美術用語 】 芸術家、文筆家、学者などの専門家の組織集団。多くの場合教育的機能をもち、転じて絵画、彫刻などの技法を教える画塾、研究所をも意味する。さらにフランス語では裸体習作、モデルの意味がある。その名は古代ギリシャにおいて、プラトーンがアテーナイの郊外に開いた学園アカデーメイアに由来する。ルネッサンス期に人文主義者や芸術家たちの集りにこの名称が用いられたが、正式な組織としては16世紀になってパッチオ・バンディネルリがローマに設けたアカデーミアが最も古く、次第に従来のギルドに替わる性格を帯び、1563年フィレンツェにヴァザーリにより〈アカデーミア・ディ・ディセーニョ〉が創設され、その後ボローニャ、ローマに多くのアカデミーが設けられた。フランスでは1664年王立絵画彫刻アカデミーが創られ、美術学校と公式の展覧会を支配するようになり、この例にならって各国に18世紀のアカデミーが生まれた。しかし19世紀中葉以降、その伝統を墨守する保守的傾向が「アカデミズム」として否定されるようになり、美術の主要な流れからは遠い存在となっていった。 |
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