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かたやま なんぷう 堅山南風
1887年熊本県に生まれる。1980年没する。本名熊次。明治32年郷里の福島峰雲に学び、42年上京、高橋広湖に師事。大正2年第7回文展に「霜月頃」が初入選、横山大観の推挙で2等賞となる。審査をめぐる対立により、翌年大観が審査員から除かれると、大観らの日本美術院再興に参加、第1回展に出品。13年同人に推挙される。以後院展を中心に活躍する一方、日展にも出品。昭和33年日本芸術院会員、日本美術院監事となり、翌年日本美術院理事、38年文化功労者となる。40年から日光輪王寺本地寺天井画の復元に従事、43年文化勲章受章。(「日本の美−再発見 富山県水墨美術館収蔵作品集」 2003年、一部加筆有)
カテゴリー:作家
印象主義とは?【 美術用語 】 19世紀後半のフランスに起きた最も重要な絵画運動で、その影響は欧米をはじめ日本にまで及ぶ。1874年春にモネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノワール、セザンヌ等を中心とする画家が官展のサロンに対抗して団体展を開いた際、新聞記者ルロワがモネの「印象−日の出」をもじって彼らを印象派と呼んだ。印象派という名称はこのことに由来し印象主義という用語もそこから派生した。印象主義は写実主義を受継いで特に外光派の戸外制作を重んじ、かつマネに啓発されて明るい色彩を用いて外界の事物を光をあび、空気で包まれた印象として表現した。光の変化に応ずる色調の変化や空気のゆれ動きを効果的に描くために、固有色を否定し、筆触を小さく分割し、色調を原色に還元したことが技法上の特徴とされる。印象主義は必ずしも体系化された理論をともなわず、組織的にはゆるやかな結びつきにとどまったため、1880年代以降各画家の個性の進展と円熟にしたがい、またスーラやゴーガンなど新世代の登場ともあいまって多様化の様相を深めた。 |
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