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はら ほううん 原鵬雲
日本で最も早く、ヨーロッパで西洋美術を目にした画家。徳島藩の銃卒で現在の徳島市秋田町に住んだ。字は士龍、通称は市助、のちに介一。1847(弘化4)年徳島藩の御用絵師守住貫魚に入門し住吉派の絵を学んだ。1862(文久2)年、幕府が派遣した遣欧使節団に賄方兼小遣者として随行した。当時江戸屋敷に勤めていた原を、徳島藩が送り出したものと思われる。原は雑役に追われながら、海外の情報を藩に報告していたようだ。渡欧の間、各地で写生を行った。イギリス、ロシア、エジプトなどで描いた写生が遺されていたという。パリ滞在中にルーブル宮を訪ね、アングルの〈グランド・オダリスク〉を描き写したことは注目に値する。維新後は画学の教員となり、1870(明治3)年から徳島県で、1874(明治7)年からは広島師範学校に勤務した。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)
カテゴリー:作家
ロココとは?【 美術用語 】 18世紀にヨーロッパで流行した装飾様式。バロック様式に続き、新古典主義に先立つ様式で、広く当時の建築、彫刻、絵画、工芸など美術全体にわたる様式。バロックとロココとは、直線を嫌い、ゆがんだ、凝った装飾を好む点では共通しているが、バロックの力強さに比べて、ロココはむしろ優美で軽快であり、S字形の曲線、非相称の装飾、シノワズリ(中国趣味)を中心とした異国趣味が目立っている。社会背景としては、バロック時代の壮麗な宮殿に対する、新時代の社交場である優雅なサロンの勃興、有力な宮延の婦人たちの趣味の影響などがあった。例えば、暗く重いビロードに代って明るい色の絹織物や錦が流行したのも婦人たちの好みによるものであった。絵画ではヴァトー、ブーシェ、フラゴナールなど、彫刻ではファルコネ、ピガル、建築では、フランスにおけるガブリエルの装飾したヴェルサイユ宮の諸室、ボフランの建てたオテル・ド・スービーズなど、ドイツ・オーストリアではキュヴィイエがバイエルンの宮延にこの様式をもたらすなどした。 |
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