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なかばやし ただよし 中林忠良
1937年東京に生まれる。東京芸術大学ではじめは油絵を専攻していたが、銅版画にひかれ、1965年東京芸術大学大学院版画専攻科を修了する。1966年には毎日現代日本美術展、73年には日動版画グランプリ展、82年には日動日本国際美術展で受賞する。また1977年には日本現代版画大賞展、78年にはソウル国際版画交流展など、多くの版画展に出品している。現在は東京芸術大学美術学部で教鞭をとる。初期には植物や海、大地など自然への関心が強く、しかも芽や花から根、そして細胞へとしだいに根源的なものへ向かっていった。しかし1970年代になり、師の駒井哲郎が没した頃から、しだいに社会的な関心を見せ始める。また1977年からの連作、〈Position〉及び〈Transposition〉では自然への関心が復活した。銅版画の技法に通じ、なおかつそこにとどまらず銅版画とは何かを見極めようとする彼は、日本の銅版画の最も正統的な作家であると評価されている。2003年紫綬褒章を受章。
カテゴリー:作家
アペルとは?【 作家名 】 1921年オランダに生まれる。2006年没する。1940年から43年にかけて、国立美術アカデミーで学ぶ。1946年にはオランダで初個展を開き、パリのサロン・ド・メにも出品。1948年にはアレシンスキー、コルネイユらと共に、コブラ(参加した画家達の出身地コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をつなげたもの)を結成する。戦後の抽象における表現主義的傾向を代表するこのグループは、個人的幻想を直接に表現しようとした。アペルは、ナイフで絵具をキャンバスに叩きつけたり、ひきずったりして描いた。民族芸術や子供の絵にも興味を示し、色や線というよりは創造行為の熱っぽさを反映した荒々しいイメージを重視した。アンフォルメルや、日本の具体グループ、またアメリカの抽象表現主義との関わりもよく指摘されるところである。1954年にはベネチア・ビエンナーレで奨励賞を受賞、58年にはパリ、ユネスコ本部の壁画も手がける。また世界各地で個展が開かれている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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