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ごとう しゅんちょう 後藤春潮
日本画家。戦前戦後を通じて活躍し、特に戦後の徳島の美術界に寄与した日本画家。海部郡牟岐町に生まれた。本名は愈(まさる)。後に徳島市福島の後藤家を継いだ。徳島師範学校を経て、京都絵画専門学校、京都芸術大学研究科に学び、中村大三郎らに師事した。芸術大学研究科終了後は、大阪日本画会会員に推挙され、大東亜美術展に出品するなど意欲的な活動を展開したが、戦争により帰郷。その後は、県立海部中学校、日和佐高校、城東高校などの教諭を歴任しながらも、関西総合美術展、日本美術院展などに出品を続け、入選を果たすなどした。県内においては、日本画塾春潮社を設立し、後進を育成することに尽力した。徳島県美術展では、受賞を重ね、無鑑査、招待作家となり、徳島県美術家協会日本画部会長に推挙された。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)
カテゴリー:作家
文展とは?【 美術用語 】 文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。 |
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