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街のジャングル−日刊紙



〈街を歩くこと〉



マッキントッシュ



マッギャレル



マッケ



マッシャ



マッス



マッソン



マッタ



マット



松井憲作



松方正義像(木型)



松澤宥



松下春雄



松谷武判



松永真



松ニ富士山



松之図



松の花



松林桂月


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たかおか かゆう

高岡何有

日本画家。戦前から作家活動を始め、戦後徳島の美術界で活躍した日本画家。徳島市仲之町に生まれた。本名は徳夫。旧制徳島県立徳島中学校を経て、1938(昭和13)年京都市立絵画専門学校本科を卒業した。同校在学中に、山口華楊中村大三郎に師事した。また加藤一雄に美学を学び、大きな影響を受けた。1939(昭和14)年、徳島で林鼓浪らがつくっていた日本画グループ金泥会に参加。また1944(昭和19)年に県立三好高等女学校教諭となり、1972(昭和47)年に県立徳島工業高等学校を退職するまで、県内各地で教壇に立った。そのかたわら、徳島県美術展覧会、徳島県博美展などにおいて、県内の後進の指導、画壇の育成に力を注いだ。また、徳島新聞文芸欄の挿画の連載などでも活躍した。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)


カテゴリー:作家
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ロースとは?【 作家名 】

12歳のとき、難聴になる。ライヒェンベルクの国立工芸学校の建築技術科、1890年から1893年、ドレスデンの工科大学で学ぶ。1893年から1896年、米国に滞在、1893年にはシカゴ万国博覧会を訪れる。H.サリヴァンと知り合う。1896年以降、ウィーンで建築家として働く。1897年以降多くの新聞雑誌の記事に、製品デザインと建築における、即物的な造形の基本理念を述べている。1898年、「ヴェル・サクルム」に、「ポチョムキン的な街」を発表する。1899年、質素で最新、機能的なデザインの最も初期の一例である、カフェ・ミュージアムの室内インテリアに携わる。同様に、彼が内装設計した「ケルントナー・バー」は、俗に「ロースバー」と呼ばれ、今日に至るまで大々的には変わることなく維持されている。彼の著述においては、装飾への彼自身の考え方に対しても、仲間たちに対してや名前の表記の仕方(彼は氏名を全て小文字で現す)に関しても、妥協を許されていない。1908年、講演「装飾と罪悪」では、彼の願望の一部分を現している。すなわち、合理化と余剰なもの−とりわけ装飾における−の放棄による、労働時間の短縮と、それによって得た自由な時間のことである。彼は幾何学的な装飾を、装飾の悪習と呼んでいる。1910年から1911年、ミヒャエーラープラッツにある邸宅の建築。これについては多く議論され、激しく拒絶されることになる。1912年から1914年、アドルフ・ロース建築学校が設立される。1921年、五十歳を祝して、仏で彼の著作物が蒐集された後、出版される。晩年、完全に耳が聞こえなくなり、1931年、重い神経症にかかる。自分の墓石の碑文には、「人類を無駄な労力から解放する・・・アドルフ・ロース」と刻むよう望んでいた。

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