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いいだ そうきち 飯田宗吉
洋画家。草創期の徳島の洋画界で活躍した洋画家。海部郡牟岐町に生まれた。雅号は緑影。旧制徳島県立徳島中学校を卒業して上京。早稲田大学商科に学ぶかたわら、1907(明治40)年頃から、大下藤次郎が開設した水彩画講習所(1908年日本水彩画研究所と改称)に通った。1908(明治41)年、病気療養のため徳島に戻った。1912(大正1)年、徳島市千秋閣で開催された第1回紅燈会展に参加。写真愛好家のグループ展だが、県内の洋画家の作品や大下藤次郎らの作品も展示した。洋画の展覧会としては、県内初の例である。飯田は本展の出品作家である中高一とともに、この展覧会で中心的な役割を果たし、大下作品を招来するため奔走した。また翌年徳島在住の洋画家が結成したオーロラ(暁光)会にも関わったと思われる。後には写真家として活動した。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)
カテゴリー:作家
トレドとは?【 作家名 】 メキシコ、オアハカ州に生まれる。国立デザイン・工芸学校「ラ・シウダデラ」の自由版画工房に通う。1959年、テキサスで初の個展を開く。1960年ヨーロッパに渡り、パリでウィリアム・ヘイターの版画工房に学ぶ。1965年メキシコに戻り、油彩、版画陶器の制作の他、タペストリーのデザインも手がける。1981年から82年にかけて、陶器の制作のためにニューヨークに滞在する。その後、再びメキシコに戻る。洗練された中にも、インディオ文化に根ざすと思わせるような独特の形態と色調で、神話や動物などを描く。また、ブロンズ、木、土、亀の甲羅、カニのはさみなど様々な素材を用いた幅広い制作でも知られる。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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