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なかむら まさよし 中村正義
1924年愛知県に生まれる。1977年没する。1940年豊橋市立商業学校を中退し、日本画を学ぶ。1946年中村岳陵に師事、48年一采社の同人となり??山辰雄、加藤東一らと研鑽を重ねる。1946年日展に初入選、その後50年特選、朝倉賞を、52年特選、白寿賞を受賞するが、53年から病気療養のため制作を中断する。1957年から出品を再開し、60年審査員となるが、61年退会して無所属となる。朝日秀作美術展、現代日本美術展、日本国際美術展などに出品し、1974年から大島哲以、斎藤真一、山下菊二らと人人(ひとひと)会展を開く。1975年東京展市民会議議長に就任、既成画壇に対抗して東京展開催のため奔走する。従来の日本画の伝統にとらわれない奔放なフォルムと激しい原色の対比で知られ、日本画の新局面を切り開いた作家として評価される。1970年東京造型大学の講師となり、後進の指導にあたる。
カテゴリー:作家
フォートリエとは?【 作家名 】 1898年フランスに生まれる。1964年没する。1909年イギリスへ渡り、12年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入って美術を勉強するが、中退する。1917年には兵役につき、第1次世界大戦終了を機に1920年パリに戻る。写実的な絵を描いていたが、1928年初めての抽象的な絵を描く。第2次世界大戦中は対独抵抗運動の中心人物となり、1940年にはパリの郊外に隠れて〈人質〉のシリーズを制作する。パレット・ナイフによって念入りに厚く塗り重ねた淡い色彩によって、既製の形に頼らず、絵画のマチエールの自発的な働きをつむぎ出すようなその作品は、アンフォルメルの源流となっている。アメリカの抽象表現主義に与えた影響も少なくない。1943年と45年には、パリ、ドルーアン画廊で〈人質〉展を開く。1957年にはハンガリー動乱をもとに〈パルチザン〉を発表する。1959年には来日して南画廊で個展を開く。1960年にはベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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