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つだ すえお 津田季穂
洋画家。戦前戦後を通じて、徳島の洋画界で活躍した画家。栃木県に生まれた。旧姓は神吉、後に津田姓を継いだ。キリスト教の洗礼名はヨゼフ。東京で旧制白山中学校に入学したが、1917(大正6)年同校を中退、この頃約半年間洋画家高橋芝山のもとでデッサンを習い、次ぎに約1年間太平洋画会研究所に、その後日本美術院の研究所に通った。1943(昭和18)年洗礼を受け、受洗後徳島を訪れて鳴門市に住んだ。その後福岡古賀教会に赴任したが、徳島県阿南教会に転任すると、再び鳴門市に住まいを構えた。1948(昭和23)年、地元の画家たちがつくる美術グループ・ベニウズに参加し、以降毎年ベニウズの展覧会に出品し、次第にグループの中心的な立場になっていった。また大阪日動画廊、東京日動サロン、高宮画廊などで頻繁に個展を開催した。(「開館10周年記念展 近代徳島の美術家列伝」図録 2000年)
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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