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みやざき ばってん 宮崎抜天
抜天は長崎のひと。本名與平。結婚して渡辺姓となる。明治35年に上阪し、美工絵画科に入学した。学生時代に鹿子木孟郎について洋画を学び、明治39年に卒業すると、上京して太平洋画会研究所に学んだ。ところがまもなく病を得て帰郷することになり、この時日本新聞に初めて挿絵を描き、以後次第に挿絵画家渡辺ヨヘイとして知られるようになった。再び上京した後、明治41年第2回文展洋画部に「金さんと赤」が入選し、同43年の第4回展、翌年の第5回展でも入選したが、病状は回復せず24歳の若さで亡くなった。挿絵の仕事に「笛の力」「ヨヘイ画帖コドモ」「ヨヘイ画集」などがあり、当時竹久夢二とならぶ人気があった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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