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みやざき ばってん 宮崎抜天
抜天は長崎のひと。本名與平。結婚して渡辺姓となる。明治35年に上阪し、美工絵画科に入学した。学生時代に鹿子木孟郎について洋画を学び、明治39年に卒業すると、上京して太平洋画会研究所に学んだ。ところがまもなく病を得て帰郷することになり、この時日本新聞に初めて挿絵を描き、以後次第に挿絵画家渡辺ヨヘイとして知られるようになった。再び上京した後、明治41年第2回文展洋画部に「金さんと赤」が入選し、同43年の第4回展、翌年の第5回展でも入選したが、病状は回復せず24歳の若さで亡くなった。挿絵の仕事に「笛の力」「ヨヘイ画帖コドモ」「ヨヘイ画集」などがあり、当時竹久夢二とならぶ人気があった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
ルネサンスとは?【 美術用語 】 15〜16世紀のヨーロッパの美術史上の様式と時期区分。とくにイタリア美術史上でいう。「ルネサンス」という言葉は、もともと、ヴァザーリが著書『美術家列伝』(1550年初版)の中で初めて用いた美術の“復活”=イタリア語でリナシータに由来し、それが1840年頃にルネサンスとフランス語に訳され用いられている。ヴァザーリは、およそ13世紀後半以降のイタリアの美術家の中にローマ帝国とともに没落していた美術の復活を認め、時代区分としてルネサンスとしたが、これは同時に古代との間に中世の概念を設定したものであった。今日通説の画期としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋起工の1420年より1500年までを初期、1500年〜1520−30年を盛期としている。初期にはフィレンツェ、盛期にはローマが中心となっている。自然と古代とを柱とする人文主義的造形活動を特色とし、美術理論が追求され、また美術作品の世俗化も行われ、メディチ家などの地方君主による美術の流派が形成された時代である。 |
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