ぐるぐるアートワード
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肖像(少年3)



肖像(少年2)



ポール・ヴェルレーヌの『知恵の書』(パリ:アンブロワーズ・ヴォラール出版)の挿絵



マイケル・グレイニェツ



マイヤー



マイヤー



マイヨール



前田寛治



前田青邨



前田暢堂



前を向いた頭部の習作と2つの手の習作



牧野克次



幕間 01021



幕間 01031



マクセヴィルアトリエジャンプルヴェ



マケット



曲子光男



貧しい食事



貧しき食事



街に沿って


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さかきばら しほう

榊原紫峰

紫峰は京都のひと。本名安造。兄弟には同じく画家となった雨村・始更・苔山らがいる。明治40年美工卒業を経て同44年絵専を卒業、研究科に進んだ。明治42年第3回文展に「動物園の猿」が初入選、以後大正6年第11回文展「梅雨霽れ」まで出品を続ける。絵専の卒業制作「花曇り」は第5回文展で3等賞を受けた。しかし大正7年同展への不満から土田麦僊らと国画創作協会を結成し、第1回展「青梅」、第3回展「奈良の森」、第4回展「雪柳白鷺の図」、第6回展「獅子」などの力作を発表した。同会解散後は新樹社や春虹会の結成に関わるなどしたが、美術団体には属さなかった。また、昭和12年より同38年まで絵専・美大の教授を務め後進の指導にも熱心だった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)


カテゴリー:作家
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瑛九とは?【 作家名 】

1911年宮崎県に生まれる。1960年没する。本名杉田秀夫。1925年上京し日本美術学校洋画科に入学、1927年美術評論を始め、美術学校を中退。1930年からフォト・デッサン(感光紙と光源の間に物体を置いて、カメラを用いず露光させる技法=フォトグラム)を試み、1936年瑛九の作家名で作品を発表、同年グループ「新時代」に参加。翌年日本美術家協会設立に参画、戦後にかけて油絵とフォト・モンタージュの作品を発表。1951年、協会を退会し、デモクラート美術協会を結成。1950年代からエッチング、続いてリトグラフの制作を開始する。1952年にフォト・デッサンの、57年にリトグラフの、60年に油絵の個展を開催した。1957年には第1回東京国際版画ビエンナーレ展に出品している。シュルレアリスム風のフォト・デッサン、豊かな色彩の抽象絵画で知られ、戦前から前衛美術の先駆者として活躍した。また、日本の現代版画の貴重な指導者として、池田満寿夫等の多くの後進に直接・間接の影響を与えた。

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