ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


エングレーヴィング



円形のビニェット 4点(葉・花弁・茎・莢)



演劇「居酒屋」ポルト=サン=マルタン劇場



エンゲルハルト



遠山雪景図



圓鍔勝三



煙突



煙突(習作)



エーアリッヒ



オイディプスとスフィンクス(アングルによる)



桜花紅桃、新柳貝合図



『黄金時代』事件 抗議パンフレット



王女トミュリス



王女に会いたくてナショナル・ガーデンのフェスティバルを訪



オウスアンコマ



王妃マリー=アントワネット[フランソワ・デュモンの原画による]



大岩秋山図



大鴉



大ガラスと関連作品 第一巻



大ガラスと関連作品 第二巻


<前 (23/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


おおむら こうよう

大村広陽

広陽は広島県沼隈郡東村のひと。本名種五郎。明治44年美工絵画科、大正3年絵専を卒業。竹内栖鳳に師事し大正3年竹杖会に入る。絵専在籍時に新古美術品展に出品し、4等褒状をうけること3回。明治44年第5回文展に「休み」が初入選し、以後官展で活躍を続ける。主に動物を画題にした季節の情景を得意として後に花鳥画もよくしたが、文展では褒状3回、帝展・新文展では昭和4年以後無鑑査となっている。戦後は一時筆を置くが、昭和29年第10回日展「冠鶴」や同40年第8回新日展「光堂開扉」など新たな傾向の作品を発表して日向市の自宅で没するまで盛んな制作を続けた。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

塩川文麟とは?【 作家名 】

1808年京都に生まれる。1877年没する。生年には異説がある。父は、安井蓮華光院門跡の侍者。字は子温。幼名は隼人。通称図書。はじめ草章と号し、可竹斎などの別号がある。門跡に画技を認められ、岡本豊彦に師事して四条派を学ぶ。弘化2年(1845)に豊彦が没してからは、四条派を率い、明治初期までの京都画壇を代表する画家のひとりとなった。安政年間の御所再建に際して、常御殿などの絵画制作に携わった。明治元年(1868)、中島来章、円山応立、国井応文らと如雲社を結成して、京都の画家たちの結束を深めた。明治9年(1876)フィラデルフィア万国博覧会に出品。門人には、幸野楳嶺がいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年、一部加筆有)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

塩川文麟

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  幸野楳嶺

  塩川文麟

  円山四条派


<前   次>

徳島県立近代美術館2006