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ほしの くうがい 星野空外
空外は京都のひと。本名萬次郎。明治42年美工専攻科から絵専2年に編入、同44年卒業。在学中の同41年第2回文展に「春の山」が初入選、4回展「青き柿と白きあひる」がある。卒業後は、村上華岳、入江波光らと桃花会に作品を発表、大正2年第7回文展「春」は3等賞となる。穏やかな写実と季節の情景に静かな情趣のある作調である。同4年不動立山、玉村方久斗らと研究団体「蜜栗会」を結成。第9回文展「背戸の畑」、帝展にも「秋晴」「犬」を出品しているが、昭和になって次第に画壇を離れて制作するようになり、戦後も写生を中心に文人風な作画生活にあった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
パスキンとは?【 作家名 】 1885年ブルガリアに生まれる。1930年没する。本名はユリウス・ピンカス。父はユダヤ系スペイン人、母はイタリア人。ウィーンで絵を学んだ後、1904年、ミュンヘンの諷刺雑誌『ジンプリツィスムス』の専属契約画家となり、この時から本名のピンカスではなくパスキンと名乗る。1905年パリに行き、エコール・ド・パリの仲間入りをする。1914年から20年まではアメリカで暮らし、この時にアメリカ国籍を得る。その後ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、キューバ、アルジェリア、イタリア、スペイン等、各地を放浪した。1930年、パリのジョルジュ・プティ画廊での個展前夜に自殺。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロチックな憂愁を帯びている。退廃的なその作品には、新しい発見や革新性は見当らないが、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されている。 |
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