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さかきばら うそん 榊原雨村
雨村は京都のひと。本名春之助。日本画家の榊原紫峰、榊原苔山、榊原始更、榊原弘は実弟である。始め佳山と号し、後に雨村と改めた。明治39年美工絵画科専攻科を修了。明治44年絵専本科を卒業。同40年の第12回新古美術品展に初入選、その後も出品を続け、同43年松宮芳年、平井楳仙らと桃花会を結成した。文展には、大正2年の第7回展に「日なが(六曲一双屏風)」が佳山の号で初入選しているが、その後の官展への出品はなく画歴の詳細は不明である。次第に画壇から離れた制作になったと思われる。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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