ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


山麓で羊といる少女



サン=ロック教会



サーレ



サー・ウィリアム・マクスウェル将軍の肖像



The Signified or If No.1



The Signified or If No.2



The Signified or If No.3



The Signified or If No.4



The Signified or If No.5



The Signified or If No.6



The Signified or If No.7



ザヴジェル



ザガッタ



雑誌「青騎士」



雑誌「自由」(ラ・リベルテ)



雑誌「微笑み」(ル・スリール)



雑誌「ル・ポンポン」



ザツキン



『ザ・ライフ・オブ・マン』



ザルテン


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 作家(1701)

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ながれ まさゆき

流政之

1923年長崎県に生まれる。立命館大学に学ぶ。はじめ鍛冶所に通って日本刀の作刀や研ぎを修行し、1943年海軍の士官搭乗員となる。戦後各地を放浪した後彫刻をはじめ、1955年初めての個展を開く。その後石彫の技術を修得し、磨き上げた鏡面と粗面の対比を生かした独得の作風を創り出す。1958年の個展でロックフェラー夫人に認められる。この頃から建築家と協力した仕事をはじめ、1960年東京文化会館の壁彫、ニューヨーク世界博覧会日本館の壁面構成を手がける。1962年初めてアメリカに渡り個展を開くほかアメリカ各地の展覧会に出品し、67年サンフランシスコ美術館で個展を開く。1966年香川県庵治町に工房を開き、自から庭師と称して69年サンフランシスコのバンク・オブ・アメリカ本部前庭、74年東京の三和銀行ビル前庭などにモニュメントを制作する。建築と調和して力動的な空間を生み出す仕事が評価され、1974年日本芸術大賞、78年中原悌二郎賞を受賞する。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)


カテゴリー:作家
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分離派とは?【 美術用語 】

ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降、ドイツ・オーストリアの各地では、既存の保守的・閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動ができない、発表の場が与えられていないと考えた、進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身の協会や展覧会組織を持とうとし、相次いで新しく芸術家集団を結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されたグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年にシュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムトを会長とするウィーン分離派が、1898年に、リーバーマンの指導のもとにベルリン分離派が成立した。ベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家の出品拒否が原因で、1910年に再び分裂、新分離派が結成され、その最盛期をむかえた。分離派には特定の様式・理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。

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徳島県立近代美術館2006