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ながれ まさゆき 流政之
1923年長崎県に生まれる。立命館大学に学ぶ。はじめ鍛冶所に通って日本刀の作刀や研ぎを修行し、1943年海軍の士官搭乗員となる。戦後各地を放浪した後彫刻をはじめ、1955年初めての個展を開く。その後石彫の技術を修得し、磨き上げた鏡面と粗面の対比を生かした独得の作風を創り出す。1958年の個展でロックフェラー夫人に認められる。この頃から建築家と協力した仕事をはじめ、1960年東京文化会館の壁彫、ニューヨーク世界博覧会日本館の壁面構成を手がける。1962年初めてアメリカに渡り個展を開くほかアメリカ各地の展覧会に出品し、67年サンフランシスコ美術館で個展を開く。1966年香川県庵治町に工房を開き、自から庭師と称して69年サンフランシスコのバンク・オブ・アメリカ本部前庭、74年東京の三和銀行ビル前庭などにモニュメントを制作する。建築と調和して力動的な空間を生み出す仕事が評価され、1974年日本芸術大賞、78年中原悌二郎賞を受賞する。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
瑛九とは?【 作家名 】 1911年宮崎県に生まれる。1960年没する。本名杉田秀夫。1925年上京し日本美術学校洋画科に入学、1927年美術評論を始め、美術学校を中退。1930年からフォト・デッサン(感光紙と光源の間に物体を置いて、カメラを用いず露光させる技法=フォトグラム)を試み、1936年瑛九の作家名で作品を発表、同年グループ「新時代」に参加。翌年日本美術家協会設立に参画、戦後にかけて油絵とフォト・モンタージュの作品を発表。1951年、協会を退会し、デモクラート美術協会を結成。1950年代からエッチング、続いてリトグラフの制作を開始する。1952年にフォト・デッサンの、57年にリトグラフの、60年に油絵の個展を開催した。1957年には第1回東京国際版画ビエンナーレ展に出品している。シュルレアリスム風のフォト・デッサン、豊かな色彩の抽象絵画で知られ、戦前から前衛美術の先駆者として活躍した。また、日本の現代版画の貴重な指導者として、池田満寿夫等の多くの後進に直接・間接の影響を与えた。 |
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