青以は京都のひと。本名安治郎。美工を経て昭和2年絵専を卒業、研究科に進み昭和7年終了する。また昭和2年に
西村五雲の画塾に入る。昭和6年第12回
帝展に「閑日」が初入選して以後、
帝展・新
文展・日展と出品を続けた。昭和13年師五雲が亡くなり、
山口華楊を中心に晨鳥社が結成された時同会に所属し、幹部となっている。昭和五〇年第七回日展に「葦」を出品したのを最後に翌年亡くなった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)

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モレとは?【 作家名 】

1856年フランスに生まれる。1913年没する。兵役を経てパリのエコール・デ・ボザールで学ぶ。1880年サロンに出品するが、しだいに
印象主義にひかれていく。1889年、ブルターニュ地方のポン・タヴァンで
ゴーギャンと出会う。色彩を面として使用し、象徴的に用いていく
ゴーギャンらの一派の一人と見なされるが、
印象主義的な傾向も見られる。ブルターニュ地方を中心に穏やかな風景を描き続けた。

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