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影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 浜辺の葉と影



影シリーズ 都わすれと影



影の自画像



過去も未来もない中心 I



過去も未来もない中心 II



かご


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 作家(1701)

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なんばた たつおき

難波田龍起

1905年旭川に生まれる。1997年没する。幼い頃東京に移り、高村光太郎に刺激されて、文学、哲学、宗教に興味を持つ。1926年早稲田大学政経学部に入学。この頃から絵画にひかれ、翌年大学を中退、アテネ・フランセ、太平洋画会研究所などにしばらく通う。1929年第4回国画会展に初入選、以後第10回展まで出品する。1935年にフォルム展を結成、37年には自由美術家協会の結成に参加。この頃、古代ギリシャをモチーフにした作品を制作している。第2次大戦を狭んで、キュビスムの手法を取り入れ、フォルムの分割と単純化を試み、1935年頃から交錯する線と色彩による抽象絵画へ展開していく。そして1960年代に入って、ドリッピングによる抽象表現主義的な作品を制作するが、1972年以降、再び絵筆を用いて新たな抽象表現を追求した。著書も多い。


カテゴリー:作家
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橋本雅邦とは?【 作家名 】

石見浜田藩主松平周防守の御用絵師、橋本養邦の子として、江戸に生まれる。養邦は、木挽町狩野家の狩野養信門下であった。幼名千太郎。狩野養信、雅信に入門。同門の狩野芳崖の帰郷後、弟子頭(塾頭)となった。万延元年(1860)に独立するが、幕末から明治維新の混乱期は、生活が困窮し、明治4年(1871)海軍兵学校に出仕。足かけ15年勤務する。明治15年(1882)頃から、内国絵画共進会などで受賞を重ね、フェノロサや岡倉天心の評価を得、鑑画会に参加。東京美術学校教授となり、天心のもとで、横山大観下村観山菱田春草などを育てる。明治23年(1890)帝室技芸員。明治31年(1898)には、天心に殉じて美術学校を退職し、日本美術院の創立に参加。主幹として院の運営をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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